プスワン

耶律普速完
西遼称制

称号 承天太后
身位 公主
出生 不詳
死去 崇福14年(1177年
クズオルド
配偶者 蕭朶魯不
父親 徳宗
母親 感天蕭太后
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プスワン(普速完、またはプスヤンプスカとも)は、西遼称制。第2代皇帝の仁宗耶律夷列(イリ)の妹にあたる。

生涯

紹興13年(1163年)、兄の仁宗が若くして崩御した時は、その次男の耶律直魯古(チルク)がまだ幼かったため、遺詔によって称制となり、甥の耶律直魯古を補佐した。

夫の蕭朶魯不の弟の蕭朴古只沙里と姦通し、蕭朶魯不を東平王として左遷した上で暗殺した。しかし、子が殺害されたと知った蕭朶魯不の父の蕭斡里剌は、崇福14年(1177年)に兵を率いて宮殿を取り囲み、プスワンと蕭朴古只沙里を射殺した。

年号

参考文献

  • 『遼史』巻30
  • 藤枝晃「西遼」『アジア歴史事典』5巻(平凡社, 1960年)、208-209頁
西遼称制(1163年 - 1177年)

徳宗1132-1143 / 感天蕭太后(称制)1143-1150 / 仁宗1150-1163 / 承天太后(称制)1163-1177 / 天禧帝1177-1211 / 屈出律1211-1218

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